Roseの暮らし

ワクワクを探して人生の扉を開いて行こう!

お墓参り②思うこと

今日は午後から雨になる様だったので

午前中早目に家を出て


JAの直売所により野菜や

お墓参り用のお花を買って


先ずは我が家から車で40分程の実家のお墓参りに行って来ました


バレンタインのお返しに主人がランチをご馳走してくれる事になっていたのですが


途中、空が暗くなり風も出て来たので

慌ててとんぼ返りとなり💦


我家から歩いても直ぐの所にある主人の実家のお墓にも急いで寄って来ました


義母は52歳と言う若さで

主人が大学2年生の暑い夏

七夕祭りの日にくも膜下出血で倒れ

その日のうちに亡くなってしまったそうです


もう少し元気でいられたなら

きっとお義姉さんの花嫁姿や


息子達か社会人になった姿も見られたのになぁ

孫達にも会いたかっただろうなぁ


我家は主人が次男なので所謂分家として

分けて頂いた土地に家を建て住んでいますが


ご近所のお年寄りから

「〇〇ちゃん(義母の名前)は本当に大らかで良い人だったんだよ」と何度か聞いた事があります


我が家が建つ前には畑だったこの土地で

義母も野菜作りをしていた聞き


この土地には義母の思いが沢山詰まっているんだろうなぁ…と思う時があります




私の父は18年前に自転車に乗っている所を後ろからバイクに撥ねられ急逝してしまいました


父と母の年齢が一回り離れていたので自分の晩年は何れひとりになると母もそれなりに覚悟をしていた様に見えましたが


父が亡くなってからの母は

眠れない、食べられない、と一気に生気を失くしてしまい別人の様に変わってしまいました


元々姉御肌で明るく情に厚い人

友達も多く日舞、革細工、社交ダンス、絵画

絵手紙、華道、洋裁や料理etc…

私とは違って何でも器用にこなせる人でした


父が出不精だったので

国内外問わずお友達やおひとり様ツアーでも

あちこち出掛ける外交的な性格だったのに

(私がひとり行動や旅行が平気なのは多分に母の影響が大きいと思います(^^;;)


すっかり変わってしまった母の事が哀しくて

どうにか元の元気な母に戻ってくれないかと

あの頃の私は毎日そんな事ばかり考えていた様な気がします😢


その母も父が亡くなって3年経ったある日

いつもの様に私が訪ねて行くと


呼んでも二度と返事をしてくれることはなく

ひとり旅立ってしまっていました

お医者さんから脳出血だったと告げられました


母が亡くなって一年位は

救急車の音を聞く度に

その日の事が鮮明に思い出されてしまって

苦しかったなぁ…


社交的で明るかった母は私が家に友達を連れて来てもいつの間にか話の中心にいて😅

ホットケーキや蒸しパンを作って

もてなしてくれたっけなぁ


時折ぶつかって喧嘩になることもあったけれど

喧嘩をしながらもあちこちよく一緒に出掛けたなぁ


若い頃、私がある病気で療養していた時には

全力で守ってくれた



お母さん、今でも何かにぶつかる度に

貴女ならどう思うかな?どうしただろう?

と思うことがあります


晩年は元気になって欲しくて

時にきつい言葉をぶつけてしまってごめんね


「お父さんに急に逝かれて

お母さんは心の準備が出来なかったのよ」

と叔母に言われてハッとした事があります


寂しかったんだね、哀しかったんだよね

あの頃の私より、今の私の方が


少しはお母さんの寂しさをわかってあげられる様な気がしています


私も60近くなり、時々その頃のお母さんのことを思い出しては生きて行く指針を与えて貰っている様な気がするよ


お母さん、ありがとう

いつかまた会える日まで

私も貴女の娘らしく!元気に頑張って行くから


お父さんやおばあちゃん、叔父ちゃん、叔母ちゃん、そしてお母さんが可愛がってくれた

JOYと皆んなで仲良く 見守っていてね(*´꒳`*)



絢香 / ありがとうの輪



最近バターたっぷりの炊き込みピラフが無性に食べたかったので夕飯はシーフードピラフと

ダイエットスープにしました😅


うーーん。満足満足(≧∀≦)

ご馳走様でした!




今日もお付き合い下さり

         ありがとうございます💙