Roseの暮らし

ワクワクを探して人生の扉を開いて行きたい

お局様って…


職場の10年選手のパートお局様(失礼を承知でこう呼ばせて頂いちゃいます💦)


館長が若い上に異動して来てまだ1年足らずで


職場の業務内容(特に私達パートの受付業務の事は尚更)が分からない事が多いのを良いことに?


どう考えても口を出し過ぎではないかしら?

と思う様な事まで(館長を差し置いて)

仕切りたくて仕方がない様子(^^;;


私はお世話になってまだ3年と少しですが

私以降に入って来たパートさんに対して


何かと気に入らない事を見つけてはキツく当たり、何となく皆んな辞める方向へと導いている様な💧


先日間違えをノートに赤文字で指摘されていたAさんも3月いっぱいで退社するそう…


誰よりも現場の業務内容を把握している彼女に

社員も口出し出来ない様な雰囲気がある

(それもおかしな話なんだと思うけれど…)


仕事はとても出来る人なので居ないと困る存在ではあるのは分かるけど


人として何より先輩としてどうなのよ?

と思えてしまう行動が多々見受けられる😥


たまたま私はまだ矛先にはなっていないけれど、勤務交代時に狭い事務所でこそこそと


他のスタッフの(聞きたくもない)愚痴を聞かされるれるのが苦痛で苦痛でとてもストレス😫


完璧な人なんて居ない

誰も皆んなうっかりミスはあるし

貴女も勿論あるのにね…


そして半年に1度の雇用契約更新時に毎回

「私もそろそろ辞めようかなと思ってる」と

必ず言いながら辞める様な気配は一向に無く💦


「この3月で辞めると館長に話した」

と先月から何度も聞かされていたけれど


今日たまたま館長とゆっくり話す機会があって

その時に館長の口から出たのは


「既に〇〇さん(お局様)から了解を得てるんですが、来年度(4月以降)は〇〇さんに〇〇業務担当になって貰おうと思ってるんですよ」と

((((;゚Д゚)))))))


うわーやっぱり…辞める気なんてないんだ…

そして館長に辞めると話したと言うのは嘘だったんだー😱


辞めると館長に話したら

「冗談ですよね?少し返事を待って貰えませんか?」と言われたとまで話していたのに😂


何なんでしょうかね?虚言癖?

「辞めないで〜」と引き留めて欲しいのかな?


でも正直びっくりするより

〇〇さんらしいなと妙に納得してしまった😂


あーあ。なんだかとっても面倒臭いけど

こんな嘘まで平気でつけてしまう彼女のことが

滑稽にさえ思えて来てしまって(🙇‍♀️)


逆にもう何でも真面目に受け止めてたら

やってらんねー😤と馬鹿馬鹿しく思えて来て

ある意味得意の開き直り?😅


私は今のところ嫌がらせや文句を言われた事はなく感謝の気持ちも沢山あるけれど


bloggerうららさんが教えて下さった

「人間関係も金のうち〜」を唱えても効かなくなってしまったら(笑)


私もそこでアウトだな!それでいい!!

と今日は腹を括りました(^^;;


そんなこんなで仕事帰りの

お腹グーグー腹減り妻の元へ


今日から大阪へ出張の主人から

美味しそうなお好み焼きと串カツと🍺

の写メが送られて来たので💢(笑)


仕事帰りの息子と町の中華屋さんで


私は好物の五目餡掛け麺を!

息子は🍺と辛モツ煮焼きそば

そしてお土産の炒飯付き😅


帰宅後はコタツでアイス🍨


小学生の頃から50年経った今も

寒い冬の日に食べるアイスはどうして変わらずこんなに美味しいんだろう?


もう1つ食べたいくらいだわぁ^^;;

エーイ!食べちまえー🤣





「お母さん!ボクのお耳みたいにキャパを大き くね〜」

「そうでした!そうでした😂了解でーす」




今日は愚痴多目の内容で失礼しました🙏


お付き合い下さりありがとうございます💙

無事にお見送り出来ました

22日に満93歳で亡くなった義父の昨日がお通夜で今日、無事に告別式を終える事が出来ました


今日も寒い一日でしたが、空が青く晴れ渡り


式の途中、僧侶様が義父の事を

「とても静かなお方で、いつも季節の野菜を作ったと言っては届けて下さった事、感謝しております」と仰って下さった言葉に


我家の前の畦道をバイクの後ろに野菜を括り付け走る義父の姿を懐かしく思い出していました


火葬場で義父の骨上げをする時に

葬儀師の方が年齢を聞かれた後


遺骨がとてもしっかりされていると驚かれ

普段から身体を動かされている方でしたか?

と尋ねらました


60で仕事を退職してからの義父は

畑仕事が生き甲斐だったのだと思います


毎日毎日お天気の日には畑に居ました


穏やかで寡黙だった義父から

少し離れた所に住んでいる次男の嫁である私に


こうした方が良いとかああしろだとか

ともすると煩く感じてしまう様な事を

言われた事は一度もありませんでしたが


義父の骨上げをしながら

健康でいること

その為にはやはり普段から少々しんどくても


身体を動かし使わないとなんだなぁ…

と最期に教えて貰った様な気がしています


私の両親は2人とも15年以上前に亡くなってしまっているので

親と呼べるのは唯一義父だけでした


おじちゃん、ありがとうございました

そして長い間、本当にお疲れ様でした


明日からまた私達家族もそれぞれの場所で

頑張って行こうと思っているので、安心してね




夏川りみ「涙そうそう」Music Video



義父の葬儀の間

自分の両親の事も重ねて思い出していました


大切な人達がひとり、ひとりと

居なくなってしまう事は

本当に哀しく寂しい事ですね…でも


私がいつか空の上に行く時が来ても

子供達にお母さんの人生、良かったよね!


と言って貰える様に

私もまた明日から前を向いて歩いて行こうと思っています



与えて貰った命に感謝して╰(*´︶`*)╯♡




最後までお付き合い下さり

        ありがとうございます♡

おじいちゃん、ありがとうございました

今朝、3年前からケアハウスでお世話になっていた義父の意識がなく救急搬送されたと   義姉(夫の兄嫁)から連絡がありました


先月93歳のお誕生月だったので

面会に行った時には元気そうだったのに


余りにも突然のことに驚いてしまい

夫は既に出勤してしまった後だったので

まだ出勤前の息子の運転で駆け付けました


対面出来た時には

既に息を引き取ってしまっていました…


「おじいちゃーん、〇〇だよ!間に合わなくてごめんね」と泣きながら義父の顔を

抱きしめる息子の声を横で聞きながら


点滴で繋がれた義父の

大きくて皺だらけの手を握るとまだ温かくて


私もとても堪えることが出来ず

涙がぽろぽろ溢れて止まらなかった



老人会の旅行に行くと必ず土産話と

お土産を届けてくれた義父


私の知らない昔話を何度も聞かされ

頷くにも困った事が何回もあったなぁ


退職してからは趣味の野菜作りに一生懸命で

採れたての野菜をバイクで届けてくれた


義父がケアハウスに入ってから

犬のお散歩で義父の畑の前を通っても


そこにもう義父が居ない事が辛くて

通れずにいました


物静かで穏やかだった義父も

晩年は暴言を吐いてしまう事があり


根底にはきっと「寂しさ」があったのではないかと私はずっと思っています


義母を亡くしてから40年以上

きっと泣きたい日や愚痴を溢したい日も

沢山あったんだよね、おじいちゃん


よく頑張ったね、おじいちゃん

最期に家に帰れて本当に良かったね


おじいちゃんが居てくれたから

主人に出逢え

子供達とも逢うことが出来ました


どうか、今はもうゆっくり休んで

お義母さんと空の上で楽しく過ごしてね


おじいちゃん、いつかまた会える日まで


おじいちゃんの話口調も


照れた様な笑顔もずっと忘れません


ありがとうございました





木山裕策 / home


今日は何故かも

この詩が頭の中をぐるぐる回っています



いつも温かなコメントやNICEボタン

ありがとうございます


色々が落ち着くまで、少しの間

投稿をお休みさせて頂こうと思っています

どうぞよろしくお願い致します