国宝『鑁阿寺』と日本遺産『足利学校』へ
昨日夫の希望で足利にある国宝『鑁阿寺』と
日本遺産の『足利学校』までドライブがてら
出掛けて来ました
「足利へ行ってみない?」と言われたので
『あしかがフラワーパーク』に連れて行ってくれるの?😍と思ったら
混雑している所には行きたく無いと😂
普段自由にさせて貰っている身
(ほぼ放し飼い状態😅)
歴史好きな夫にたまには従おうじゃないか!(爆)
と言う事で、家を出て約1時間半
最初に向かったのは国宝『鑁阿寺』
楼門
本堂で参拝をしました
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鑁阿寺(ばんなじ)は、栃木県足利市家富町にある真言宗大日派の本山。「足利氏宅跡(鑁阿寺)」(あしかがしたくあと ばんなじ)として国の史跡に指定されている。本堂は国宝に指定されている。日本100名城の一つ。
Wikipediaよりお借りしました
周囲8.3mもある立派な大いちょう!
思わず下から見上げてパワーを貰って😄
手水舎に可愛い芍薬の花が!
こんな心遣いにはホッと和みます😀
御朱印を頂いて
お腹が空いてしまったので💦
チェック👀しておいた駐車場の横のお蕎麦屋
さんへ一度戻ってお蕎麦ランチで腹拵え
ツルツルと喉越しの良い手打ち蕎麦と揚げたてサクサクの天麩羅🍤が最高に美味しかった😋
ご馳走様様でした!
街中にも『足利尊氏の像』が!
テクテク歩いて日本遺産の『足利学校』へ
『入徳門』
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足利学校の創建については様々な説があります。奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁説、鎌倉時代の足利義兼説。しかし、どれが正しい説であるかは現在も解明されていません。
足利学校の歴史が明らかになるのは室町時代中期です。上杉憲実が関東管領になると学校を整備し、書籍の寄進や庠主(校長)を招き入れ、学生の養成をしました。16世紀の初頭には生徒は三千人を数え、フランシスコ・ザビエルによって海外にも紹介されました。
現在の姿は落雷により消失してしまった江戸時代の姿を復元したもので、当時の学徒がどのようなところで勉強していたのかを、皆さんが見学できるように一般開放しております。
HPよりお借りしました😅
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『学校門』
『孔子廟』
奥に見えるのは『孔子坐像』
『南庭園』
『衆寮』
学生が勉強したり生活をした所
『庫裡』
食事などが行われた台所
『方丈』
講義や学校行事の為の座敷として使われた所
方丈の中
『遺蹟図書館』
歴史には興味の無い私(^^;;
実はこの時前々日の横浜🌹行きの疲れも残り
お腹もいっぱいで睡魔と戦っていて💦
夫の説明にうんうんと頷いて解ったフリをするのが精一杯でしたが(^◇^;)
落ち着いたキレイな庭園に清々しい気持ちになり(そっちかい!😂)風情のある街並みも楽しめ
一度は行ってみたかった日本最古の学校『足利学校』も見学する事が出来て良かった!
胸に学生証を貼ったまま
駐車場へ向かう途中の目焼きせんべい🍘の誘惑にまんまと負けました😅
帰り道は夫も疲れている様に見えましたが
運転をここで代わってしまったら家まで私の運転になりそうだったので黙っていました💦
「着いたよ‼️」と言う夫の言葉に驚いて
目を覚ましたのは我家の駐車場でした😆💦
夫よ、申し訳ない🙇♀️
これに懲りずに次回は是非とも『あしかがフラワーパーク』へよろしくお願いします(笑)
最後まで読んで下さりありがとうございます💙
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